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当社
産地・業界
社会
1852
ペリーが浦賀に来航。
1865
明石役造が小倉・真田帯地、
細紐類の製造業「西屋」を創業する。
1877
エジソンが蓄音機を発明。
1882
下村紡績所開業。
1895
役造の長男・明石歓太郎が
16歳で「西屋」を継ぐ。
1896
小川の家守善平らが
児島織物合資会社設立。
1901
明石歓太郎商店に名称変更。
児島田の口の丸西織物工場「西屋」の二代目として誕生した明石歓太郎。16歳で家業を継ぎ、この年、「明石歓太郎商店」と名称を変えた。後に被服製造を開始し、「明石被服興業」を設立。初代社長に就任している。歓太郎は4人の男の子に恵まれ、長男の稔、次男・登(後に二代目歓太郎)、四男・章の順で社長職が引き継がれていく。
1904
日露戦争開戦。
1905
夏目漱石が
『我が輩は猫である』を発表。
1906
上村(上の町)の松三曙が
足袋製造に動力ミシン使用。
1908
アメリカ連邦捜査局(FBI)創設。
1912
中華民国革命軍の注文を受け、
足巻雲斎(ゲートル)の
輸出が始まる。
1913
田の口でアート帯の
製造が盛んに。
1914
第一次世界大戦勃発。
1916
岡山県の足袋製造が
1000万足に達し国内第一位となる。
1918
角南周吉が学生服の製造を開始する。
1927
リンドバーグが
大西洋単独無着陸飛行に成功。
1932
明石歓太郎商店被服部発足。
学生服の組縫(下請け)を始める。
この年、明石歓太郎商店に加わった歓太郎の次男・登と長男の稔が、「全国を相手にさらに大きな商いを目指そう」と学生服を製造する被服部を発足させた。河合家の納屋にミシン10台を持ち込んでの、先行メーカーの下請けである組縫(くにゅう)としてとしてのスタートだった。本格的に製造メーカーとして学生服の生産を始めるのはその2年後、1934 年(昭和9年)になる。ちなみにこの当時の学生服は写真のような厚司地の霜降りが学童服が主流で、一着の相場は28~30銭、極上物で65銭だった。
1934
被服専用工場を移設し、
本格的な学生服製造に乗り出す。
1934
鷲羽山と王子ケ岳が
瀬戸内海国立公園に指定される。
1935
歓太郎の四男・章が事業に参加。
長男・次男・四男の三兄弟が揃う。
1937
明石歓太郎商店が
「大石印」の商標を登録。
1937
ヒンデンブルク号爆発事故。
1938
綿製品の製造・加工・販売制限に関する法律(禁綿三法令)が公布される。
1939
綿の代替品の更正糸
買い占めを決断。
1939
男子は巻脚絆、
女子はモンペ着用の戦時体制に。
1941
更正糸を使用した
学生服が大ヒット。
1941
ハワイ真珠湾攻撃。
1941
日本衣料統制株式会社設立。
第二代行組合が児島下の町に。
1942
海軍監督工場に指定。
1943
『カサブランカ』が
アカデミー賞作品賞を受賞。
1944
明石被服興業株式会社を設立。
初代社長に明石歓太郎が就任。
1944
ゾルゲ事件。
1945
第二次世界大戦終了。
1946
第一次吉田茂内閣。
1947
児島商工会議所設立。
1947
日本国憲法施行、教育基本法の公布(6・3制)。
1948
味野、児島、本庄、下津井が
合併し児島市となる。
1949
綿統制が続くなか、
学生服の生産をいちはやく再開。
1949
湯川秀樹がノーベル物理学賞受賞。
1950
第二代社長に河合稔就任。
「禁綿三法」の施行以降、苦難の時代を迎えた学生服業界であるが、大きな危機を逆にチャンスととらえ、会社を飛躍させたのが明石歓太郎の長男・河合稔だった。稔は綿の代用品として出回った更生糸を買い占め、更生糸入りの学生服で大きな利益をもたらした。さらに終戦後、不要な原反の配給切符を集め、統制の解禁前に他社に先駆けて学生服の生産を再開させた。天文学的に頭が働くというので「天文繰くり」と呼ばれた稔は、この年、明石被服興業の二代目社長に就任した。
1950
統制解除、
小倉学生服の生産復活。
1950
朝鮮動乱勃発。
1951
「富士ヨット」商標登録。
1952
東洋レーヨン
「ナイロン」の販売。
1952
日米安全保障条約発効。
1952
東洋レーヨン
全国ナイロン学生服5社系列に加入。
(後に10社系列になる)
1952
合成繊維による「富士ヨット学生服」
の生産・販売開始。
1952
「富士ヨット」ホーロー看板製作。
1953
琴浦文化服装女学院開校。
1953
サンフランシスコ講和条約。
1954
クラレが「ビニロン」発売。
1954
「VAN」ブランド登場。
1955
第一回児島繊維祭開催。
1955
宣伝カーによる
PRがスタート。
昭和20年代後半からスタートした各社の宣伝戦略のなか、明石被服興業の隠し球がこの宣伝カーによるPR だった。ボディの側面にはロゴや装飾画が塗装されていた。ベースは当時トヨタが宣伝カー用に作っていた「トヨペット・マスターラインRR16 型(変型)」。3台あるうちの1台には、夜になるとルーフの部分に電気が灯るような装飾も施されていた。こうした宣伝カーが北海道から九州まで全国津々浦々をかけめぐり、「富士ヨット」ブランドを浸透させていった。
1956
岡山県下被服製造業の売り上げ首位
(七億二千万円)。
1956
琴浦町、郷内村が児島市と合併。
新児島市誕生。
1957
ロッテが「グリーンガム」を発売。
1957
フラフープが大ブーム。
1958
東レ・帝人「テトロン」の発売。
1958
富士ヨットテトロン学生服販売。
1958
女子通学服、小学生服にも拡大。
1959
岡山県被服工業組合設立。
1960
本社事務所完成。
1960
カラーテレビ本放送開始。
1963
児島を中心とする岡山県の学生服生産量が年間1千万着を超える。
1963
全国的に小学生・大学生の
服装自由化が始まる。
1964
作業服を分離して
子会社「日邦産業(株)」設立。
1964
「サンヨット」ブランドで
ワーキングウェア発売。
1964
第三代社長に明石歓太郎(二代目)就任。
1965
カッターシャツ専用工場完成。
1964
東海道新幹線開通。
1964
東京オリンピック開催。
1964
銀座でみゆき族が流行。
1966
ヨット会館竣工。
1966
学生服アパレルの
自社ブランドの強化が進む。
1966
ビートルズ来日公演。
1967
ツィッギー来日。
ミニスカートが大ブームに。
1967
イメージキャラクターに
歌手の三田明を起用。
1968
東京営業所設置。
1968
1963年来の過剰生産による
値下げや景品付き販売合戦により
大手アパレルの倒産が相次ぐ。
1968
児島地区学生服生産量750万着。
1969
アポロ11号月面着陸成功。
1969
宇部工場竣工。
1966年にはビートルズが、翌67年には「ミニスカートの女王」と呼ばれたツィッギーが来日。彼らの出現により、タブー視されていた男子の長髪や短いスカートが市民権を得るなど、自由を謳歌するカルチャーが芽吹いていく。こうした世界的な傾向は学生服市場にも少なからず影響を与え、学生服離れが進んで行く。そんななか1969年(昭和44年)に8億円という巨費が投じられ、西日本随一の規模を誇る宇部工場が完成している。
1970
繊維製品対米輸出自主規制交渉。
1970
児島地区学生服生産量
430万着。
1970
大阪万国博覧会開催。
1971
日米繊維協定仮調印。
1971
日本繊維産業連盟結成。
1971
沖縄返還協定調印。
1972
東京・大阪・仙台など
主要都市で展示会開催。
1972
明邦興業(株)水俣工場稼働。
1972
体育衣料を台湾で生産開始。
その後、韓国・中国へ拡大。
1972
日中国交正常化。
1973
マルオ被服(ビッグジョン)がクラボウ
と初の国産デニム開発、純国産
ジーンズ第一号「Mシリーズ」
を発売。
1973
山口百恵と
テレビCM契約、
宇部工場来社。
広告戦略は昭和40年代に入りイメージキャラクターの起用によるテレビCMへと移り変わっていく。明石被服はこの年、森昌子、桜田淳子とともに「中三トリオ」で一世を風靡した山口百恵と契約。初めての女性アイドルの起用だった。制作されたCM やポスターにはセーラー服姿だけでなく、詰襟学生服を着用したものも。本社の明石記念館には宇部工場を訪れた際のジーンズ姿の写真も展示されている。
1974
長嶋茂雄、現役引退。
1975
第四代社長に明石章就任。
1975
『およげ!たいやきくん』
が大ヒット。
1977
巨人軍王貞治が本塁打世界記録。
1978
変型学生服の台頭。
1978
TBSの歌番組『ザ・ベストテン』放映開始。
1980
山口百恵婚約。
1980
なめ猫グッズ販売開始。
一大ブームに。
1980
本社常設展示場開設。
1981
『オレたちひょうきん族』放映開始。
1982
日被連が
「標準型学生服認証マーク」
制定。
1982
縫製効率化のため
「イートンシステム」導入。
1982
『E.T.』が記録的な大ヒット。
1983
第五代社長に河合正照就任。
1983
新設校を中心に
ブレザー・スーツ
採用が増加。
1983
東京ディズニーランド開園。
1984
グリコ・森永事件。
1985
東京営業所が支店に昇格。
1985
阪神が21年ぶりに日本一に。
1986
『制服革命』発行。
1986
CAD及び
コンピュータシステムの導入。
1986
SI(スクール・アイデンティティ)
の採用校増加。
1987
本社第二配送センター新設。
1987
JRスタート。
1988
瀬戸大橋開通。
1988
新社章の制定。
1988
森英恵氏と
デザイン提携。
1986 年(昭和61年)、明石被服興業は自社出版で『制服革命』を刊行。制服に対する生徒のニーズと学校の教育理念を結びつけようと、本書の中で「スクール・アイデンティティ(SI)」というコンセプトを提唱した。これにより、学生服にファッションを取り込み、生徒が自主的に着てみたいと思え、さらに学校を象徴するアイテムとしての学生服の提案を行うことに志向をチェンジ。こうした流れのなかで日本を代表するデザイナー・森英恵氏とコラボレートし、1988 年(昭和63年)、「ハナエモリ・スクールジェンヌ」を発表した。
1988
「ハナエモリ・スクールジェンヌ」
発売開始。
1989
消費税導入。
1989
DC(デザイナーズブランド)
制服の導入が活発化。
1989
琴浦紡績
(旧下村紡績所)解体。
1991
ジュリアナ東京オープン。
1992
本社新物流センター竣工。
1992
ブレザー用自動仕上げプレス機導入。
1993
沖縄県に子会社「アクシーズ(株)」
西崎工場竣工。
1995
阪神淡路大震災。
1996
明石記念館設立。
1996
従業員にパソコンを配布、
営業効率向上と情報の
共有化を図る。
1996
再生ペットリサイクル
ユニフォームを発売。
1996
第三セクター倉敷
ファッションセンター(株)設立。
1997
本社営業本部事務所の
リニューアルにより
「第11回日経ニューオフィス賞」受賞。
1997
新展示室の完成。
1997
学生服購入者のユニセフ募金開始、
ユニセフ協賛企業に。
1997
倉敷チボリ公園開園。
1997
長野冬季オリンピック開催。
1997
京都議定書締結。
1998
岡山繊維産地フォーラム開催。
1998
関連会社「日邦産業(株)」
を吸収合併。
1998
第三配送センター竣工。
1998
CAM(コンピューター支援生産)
システムの導入。
1998
環境プロジェクト発足。
1999
岡山県アパレル産地
環境ビジョン発表。
1999
東京都・福岡県が制服の入札制の導入を発表。(2000年から実施)
1999
業界初環境マネジメント
システム「ISO14001」
認証取得。
1992 年(平成4年)、地球温暖化問題に対する国際的な枠組を設定する条約「国連気候変動枠組条約」が作成された。この条約の交渉会議にあたるCOP 第3回が97年(平成9年)に京都で開催され、京都議定書が採択された(写真)。これにより、議定書への参加国は2010年の温室効果ガス排出を90年水準から平均5%(日本は6%)削減するという義務を定めた。明石被服興業では翌年に環境委員会を発足させ、1999 年(平成11年)に業界初となるISO14001 の認証を取得。以降も事業の多岐にわたって環境問題に取り組み、高い評価を得ている。
2000
循環型社会形成に向け
「グリーン購入法」制定。
2000
太陽光発電システムを
本社工場棟設置。
2001
環境配慮型制服の要望が強まる。
2001
日被連「国産エコ・
ユニフォームマーク」制定。
2001
最新鋭設備導入の
宇部工場リニューアル。
2001
日本環境協会
「グリーン購入大賞」で
中小企業部門入賞。
2001
米国同時多発テロ(9・11)。
2002
岡山県エコ製品認定制度
始まる。
2002
岡山県エコ製品
(制服・作業服等の部門)
第1号に認定される。
2002
サッカーワールドカップ
日韓大会開催。
2003
デザイナー畠山巧氏との提携企画
「T・H・D アカデミック」発表。
2003
キャラクターに
リカちゃん人形
「ハナエモリ・スクールジェンヌ」でブランド制服の展開をスタートした明石被服興業が、次のブランドとして白羽の矢を立てたのが東京コレクション等で活躍している畠山巧だった。彼の企画により、2003 年(平成15年)に誕生したのが「T・H・D(テ・アッシュ・デラメゾン)」。イメージキャラクターに、1967 年の発売以降、累計で5000 万体を出荷しているタカラトミーのキャラクター人形「リカちゃん」を起用し、新しいイメージ戦略に挑戦した。
2003
大阪支店自社ビルへ移転。
2004
プレミアムジーンズが人気。
2004
人口減少元年(出生率1.26)。
2004
岡山エコ事業所第一号に
認定される。
2004
岡山ゼロエミッション事業所に
認定される。
2004
新物流センター「A蔵」竣工。
2004
東京支店自社ビルへ移転。
2004
「株式会社デサント」と提携し、
スクールスポーツの展開強化。
2005
第六代社長河合秀文就任。
2005
大手学生服アパレルによる体育衣料のブランド導入が進む。
2005
日本ライフセービング協会
(JLA)のパートナー企業に承認される。
2005
河合美術館設立。
2006
アパレルの小売店M&Aが話題となる。
2006
学生服専門店「(株)マルゴ」
(岐阜市)に資本参加。
2006
関連会社「オゴー産業株式会社」
を設立。
2007
学生服原材料の価格高騰。
2007
食品偽装問題。
2008
ファストファッションの台頭。
2008
北京オリンピック開催。
2008
アーシンク・リサイクル・
ネットワークに参加し、
広域認定共同取得。
2008
本社新工場
「さくら工場」の竣工、
国内の生産体制強化
を図る。
2011
富士ヨット商標登録60周年。
2011
山口県宇部テクノパークに新物流センター(宇部アソートセンター)の建設を発表。当事業が「第2回宇部市イノベーション大賞」に認定される。
2011
東日本大震災。
2011
サッカー日本女子代表
「なでしこジャパン」が
ワールドカップで優勝。
2012
環境省が
「スーパークールビズ」
を打ち出す
2012
東京スカイツリー竣工
2012
宇部TAC
(テクノパークアソートセンター)竣工。
2012
メディカルウェアで
「ルコックスポルティフ」ライセンス契約。
2013
倉敷和蔵アソートセンター新設。
2014
消費税
8%スタート
2014
岡山支店開設。
2014
(株)津山ソーイング設立。
2014
富士ヨット(株)自社ビル移転。
(現在:鹿児島支店)
2015
明石スクールユニフォームカンパニー
設立(2015年6月1日業務開始)。
2015
PRキャラクターが誕生!
イラスト:深崎 暮人 氏
2016
洗濯絵表示の変更。
2016
リオオリンピック開催。
2016
アクシーズソーイング
第二工場 竣工。
2016
名古屋支店 自社ビル移転。
2016
360°カワイイ&カッコイイ制服
「O.C.S.D」誕生!
クールジャパンとして日本を代表する文化となっているアイドル。その中でも多くの衣装デザインを手掛けている『オサレカンパニー』とコラボレートし、生まれたブランド。制服文化とアイドル文化の協演により、生徒たちに「着たい」と学校の「期待」を形にします。
2017
神戸学院大学と産学連携。
防災教育普及のための商品開発を共同研究。
2018
㈱タクミソーイング設立。
2018
瀬戸大橋開業30周年。
2018
Tリーグ「岡山リベッツ」の
オフィシャルスポンサーとなる。
2018
西日本豪雨。
2019
新スポーツウェア「ATHLISH」発表。
2019
ラグビーワールドカップ2019日本大会開催。
2019
消費税10%スタート。
2020
SDGs:新企業指針
“みらいのために
「倉敷発、地球品質。」”発表。
2020
新型コロナウィルス蔓延
2021
スマートフォンによる
採寸・注文システム「Ai採寸」始動。
2021
東京オリンピック開催
2022
宇部テクノパークアソートセンターⅡ号棟
(宇部TAC-Ⅱ)竣工。
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